理想と現実 



初めて憎むべきゼロの正体が、故・后妃マリアンヌ様のお子様であるという事実を知った時、私は歓喜した。
いや、それは寧ろ「狂喜」といっても過言ではない。
初任務で后妃マリアンヌ様の警護を仰せつかったのにも関わらず、私は守るべき主を守れなかった。
そして、日本に送られた、マリアンヌ様の嫡子であるルルーシュ様も、その妹君のナナリー様も、占領戦線の折に亡くなられたと聞かされた時のショックは、言い表しようがないほどに、私を絶望の淵へと追い詰めた。
直接手を下したわけではないのに、結果的にお二人を殺したのはマリアンヌ様をお守りできなかった自分の所為だと、どれくらい自分を責めたかわからない。
何度もあの光景を夢に見て、その悪夢にどれだけ苛まれたことか。
今思い出しても背筋が冷たくなる。
だが、しかし、ゼロの正体がルルーシュ様だというのなら、私はゼロから受けた屈辱も、「オレンジ」の不名誉な称号も、すべて受け入れよう。
それは私が生きていくために必要なことなのだから。





「ジェレミア」
「はい、ルルーシュ様!」

新しい主に呼ばれたジェレミアの目は生き生きと輝き、まるで水を得た魚のようだった。
ルルーシュはそれを別段気にもせず、あれやこれやとジェレミアに仕事の依頼を申し付ける。
それを的確にこなすジェレミアは優秀な人材だった。
ジェレミアにとってルルーシュは理想の主であり、その主の期待に応えるために精一杯の努力を惜しまない。
容姿端麗、頭脳明晰なのは言うに及ばず、人望とカリスマ性を備えたルルーシュをジェレミアは誇らしく思っていた。
その上、冷静沈着で思慮深いルルーシュに、ジェレミアはある種の崇高なものに対する崇拝意識を感じているほどで、まるで狂信者のようにルルーシュを神聖な者として崇め奉っている感も否めない。
ジェレミアはルルーシュの容姿に、相当目が腐っていた。
ただ一つ不安があるとするならば、それはルルーシュがジェレミアのスパイ嫌疑を払拭していないことにある。
その声は黒の騎士団の中からもジェレミア本人の耳に入るほどに、露骨に聞こえてくる。
それは仕方がないだろう。
新参者を快く思わない風習はどこの組織にでもあることだし、ましてやジェレミアは嘗ての「純血派」の筆頭だったのだから、憎まれることはあれ仲間意識など到底持たれないことも頷ける。
だからジェレミアは必死だった。
スパイ嫌疑のあるジェレミアを傍に置いてくれるルルーシュの立場が、少しでも悪くならないように自分を押し殺して、従順で大人しい臣下の仮面を被り続ける。
その掛けられた嫌疑を打ち消すだけの功績がジェレミアには必要だった。
嘗てのように、余裕の笑みなど浮かべている余裕もない。
ルルーシュに絶対の忠誠を誓い、ルルーシュのためになら命を投げ出しても惜しくはないと、ジェレミアは本気で思っている。
しかし、ルルーシュを守りたいという気持ちとは裏腹に、主の「ゼロ」としての立場を考えれば、四六時中金魚の糞のようにくっついているわけにはいかない。
黒の騎士団の一員としての工作活動のほかにも、ルルーシュに直接依頼された隠密裏の仕事も山ほどある。
その依頼された仕事の活動成果を報告をする僅かな時間だけが、ルルーシュと対面を許されるジェレミアの唯一の時間だった。
それでもジェレミアに不満なかった。
ジェレミアにとっての絶対権力者のルルーシュに、不満など言えるはずもなかった。





「・・・不満そうな顔つきだな?」
「そんなことはない。疲れているだけだ・・・」

C.C.の声に答えたルルーシュは不機嫌な顔をしていた。
「どうしたのだ?」と問われて、窓の方を見つめながら「別に」と返したルルーシュをC.C.がその顔を覗き込む。
しばらく黙って見つめて、C.C.は理解したように「ふーん」と、鼻で笑った。

「疲れているのは確かなようだが、原因はあいつか・・・」
「わかっているならわざわざ聞くな!」
「邪魔なら殺してしまえばいい」

そう言ったC.C.は冷酷な魔女の顔をしている。

「それもできないのか?」
「まだ利用価値はある。殺してしまうには惜しい」
「それはお前に都合のいい言い訳だろう?」
「・・・・・・・・」
「疑っているのなら真意を確かめればいい・・・それだけの話だ。それとも、情が湧いたか?」

ルルーシュは黙ってC.C.の顔を見上げた。
ルルーシュの頭を悩ませているのは、ジェレミアのことである。
仕事はできるが、ジェレミアのスパイ嫌疑はまだ完全に払拭されていない。
嫌疑が晴れない以上、素顔を曝すのは危険なことだと考えたルルーシュは、有能な主の仮面を被り続けている。
しばらく様子を見て、本当にスパイであればいつかボロを出すと考えていたのだが、なかなかの強か者らしいジェレミアはそう簡単に尻尾を掴ませてくれなかった。
仮面を被り続けることはルルーシュにとって苦痛なことではないが、息を抜く暇がない。
息を抜ける唯一の場所であった学校にもこのところ顔を出す暇がない。
ルルーシュは確かに疲れていた。

「咲世子とロロをここに呼んでくれないか・・・」





ジェレミアはいつものように報告を持ってルルーシュの部屋を訪れた。
扉をノックして部屋の前で待つジェレミアに、室内からはなんの応答も返されない。
人間の心理というものは、待たされると不安になるのが常套だ。
静まり返った様子に訝しんで、何か異変が起きたのではないかと、不安になったジェレミアは、無礼を承知で部屋の扉を開けた。
部屋の中は外と同様に静かだった。
その様子にジェレミアの不安は大きさを増す。
主の姿を探して奥へと足を進めると、ルルーシュはそこにいた。
いたことはたしかなのだが、ジェレミアはルルーシュの姿に目を見張った。
椅子に腰掛けたルルーシュは肘掛に肘をついて頬杖をしながらうとうととまどろんでいる。
皇族の、しかも皇子のこんな姿は滅多に見ることができない。
寝顔すら目にすることなど一生のうちで一度あるかないか・・・いや、絶対にありえないことだ。
ジェレミアは一瞬の躊躇いの後、足音を忍ばせるようにして、転寝をしているルルーシュの傍へと寄った。
膝を床に着けて息を殺して、下から覗き込むようにその寝顔をじっと見つめる。
腕のいい造形作家が手がけた人形のようなその容姿に、ジェレミアは声をかけることすら忘れて、惹きこまれたように見入っていた。
ピクリとその長い睫毛が動いて、ゆっくりとルルーシュの瞼が開けられる。
瞼の奥の高貴な紫色の瞳が、虚ろにジェレミアの姿を映し出した。

「・・・なんだ、来ていたのか?」

主のその声に、ジェレミアは顔を真っ赤にして、慌てたようにルルーシュの顔から視線を外す。

「来ていたのなら声をかけてくれればよかったのに・・・すまなかったな」
「いえ、申し訳ございません・・・私の方こそルルーシュ様のお休みのところを・・・」

ジェレミアの声には明らかな動揺が窺える。
ルルーシュはニヤリと口端に笑みを浮かべた。
しかし、視線を下にしたジェレミアはそれにはまったく気づいていない。

「では、報告を聞こうか」

ルルーシュの声に「はい」と答えて、ジェレミアが顔を上げた。
しかし、ジェレミアの視線がルルーシュの顔に行く前に、それはジェレミアの目を釘付けにした。
床からルルーシュの顔までの視線の通過点。
シャツの第一ボタンを外したルルーシュの白い首筋に紅い鬱血痕が散らばっている。
それが何か知らないジェレミアではない。
信じられないものを見たような表情を浮かべて、ジェレミアは顔を真っ赤にしている。
「どうした?」とルルーシュが声をかけると、ジェレミアは紅くした顔を隠すように再び俯いて、黙ってしまった。
その握り締めた手がわなわなと震えている。
ジェレミアは相当ショックを受けているようだった。

「ジェレミア。顔を上げて報告を」

命令口調で促すと、ジェレミアは恐る恐る顔を上げる。
ジェレミアは裏切られたような表情を浮かべ、今にも泣き出してしまいそうな情けない顔をしていた。
ルルーシュは脚を組んで、ジェレミアを鼻で笑ってあしらう。

「なんだ、その裏切られたような表情は?」

今まで聞いたことのないルルーシュの冷たい声に、ジェレミアは大いに戸惑った。
これはきっと悪い夢だと、自分に言い聞かせる。
しかし、ルルーシュの声に容赦はなかった。

「俺に理想の主の幻想を抱いていたのか?それは残念だったな・・・」
「・・・・・・・・」
「本当のことを教えてやろうか?俺はお前が思い描いているような男じゃないぞ」
「・・・・・・・・」
「それとも俺の容姿に母上の姿を重ねて見ていたのか?」
「そ、そのようなことは・・・!」

ジェレミアは言葉を詰まらせた。
確かに、ルルーシュはジェレミアの敬愛するマリアンヌの容貌を色濃く受け継いでいる。
ルルーシュの言ったことは当たっていた。
ジェレミアはルルーシュにマリアンヌ后妃の姿を知らず知らずのうちに重ねて見ていたのだ。
そのことに気づき、自分がルルーシュに対してどれだけ非礼なことをしていたのかを思い知らせれて、顔を俯けることしかできない。
ジェレミアはルルーシュに合わせる顔がなかった。

「図星らしいな?」
「・・・申し訳ございません。私はルルーシュ様に大変失礼なことを・・・」
「別に謝る必要はない。俺もそれを知っててお前を利用していたのだからな」
「そのような・・・私には勿体無いお言葉です」
「どうだジェレミア。俺を抱いてみたくはないか?」
「は?」

突然の申し出に、ジェレミアはルルーシュの言葉の意味が咄嗟に理解できずに、顔を上げて間の抜けた声で返した。
ルルーシュはクスクスと笑っている。
その姿が、ジェレミアの記憶に残る在りし日の后妃マリアンヌの姿と重なった。

―――閃光のマリアンヌ

明晰な頭脳の持ち主で、稀代の策士であったとジェレミアは記憶している。
もっとも、ジェレミアは戦場で戦うその姿を実際に見たことはなかったが、逸話や噂は数多く残されているので知っていた。
ジェレミアの脳裏に、ゼロと対峙した時の記憶が甦る。

―――稀代の策士

ゼロの行動には、その言葉がぴったりと当てはまった。
そのゼロの正体こそ、マリアンヌの嫡子・ルルーシュなのである。
ルルーシュは容姿ばかりでなく、その頭脳もマリアンヌから受け継いでいるのだ。
そう考えて、ジェレミアの頭はようやく冷静さを取り戻した。
表情を一瞬だけ引き締めて、ルルーシュを見返してニヤリと笑う。

「ルルーシュ様、お戯れにもほどがあります。私を試しておいでですね?」
「なぜそう思う?」
「ルルーシュ様は確かにマリアンヌ様のお血筋を強く引いておられる。」
「お前、意外と頭が回るんだな・・・」
「伊達に軍人をやっていたわけではございません。どうせその辺にロロと咲世子を待機させておいでなのでしょう?」
「・・・なんだ、気づいていたのか?」
「気づいていたわけではございませんが、敵に誘いの隙を見せるときは攻撃手を控えさせておくのがセオリーです」

ルルーシュは少し感心したようにジェレミアを見つめた。
「ロロ!咲世子!もういいぞ」と、ルルーシュが声をかけると、物陰に気配を殺して潜伏していた二人が顔を出す。
存在が相手に知られた以上、潜めておく必要はない。

「私がルルーシュ様を殺す素振りを少しでも見せたらこの二人が飛び出してくる手はずになっていたのですね?」
「まぁな・・・。だが、急ごしらえの危うい策略だ。リスクの方が大きい博打みたいな賭けだ。お前にロロのギアスが利かないことは立証済みだし、咲世子は一度お前に負けている」
「・・・なぜそのようなことを?」
「お前の本当の目的を確かめるためだ」
「私の真意は、ルルーシュ様のお役にたつことです。まだお疑いならこの場で私を殺してくださっても構いません」

「それは無理だろう」と、ルルーシュは微笑む。

「さっきも言ったが、お前を殺すにはこの二人では役不足だ」
「そんなことはございません。私を殺すのは簡単なことです」

そう言ってジェレミアは自分の頭を指差した。

「ここを銃で打ち抜けば私を簡単に殺せます」
「・・・お前は馬鹿か?」

ルルーシュは可笑しそうに笑った。
「相手に自分の弱点を教えるなど、大馬鹿者のすることだ」と、呆れたようにジェレミアを見ている。

「ルルーシュ様に私の真意を理解していただけないのでしたら、この先生きていても仕方がありません」

そう言ったジェレミアは真剣な表情を浮かべていた。
ルルーシュは「わかったわかった」と鬱陶しそうに手を振って、ジェレミアの大仰な言葉を制すると、腰掛けていた椅子から立ち上がりジェレミアに背中を向ける。

「ルルーシュ様。ご報告がまだ済んではおりませんが?」
「報告なら明日の朝でいい。今日はここに泊まってゆっくりと休め」

言われてジェレミアは深く頭を下げた。
しかし、ジェレミアはルルーシュの更なる策略に嵌っていることに気づいてはいなかった。
ジェレミアの長い夜はまだ始まったばかり・・・。



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